朝日連峰 祝瓶山荘にて









新鋭1名を欠くが山荘に集う

5月30日(土)31日(日)
「三人寄れば山岳会」の時代は衰退し、会員の減少も拍車をかけ存続すら危ぶまれる山岳会もあると聞く。我が山岳会も同様な有り様に危惧するも、昨年来立て続けに新鋭4名が長井山岳会に名を連ねた。提唱すれば先ず故郷の山々に分け入りじっくり知り尽くし己の哲学の山を模索するが良いだろう。斯く言う山わっしゃこも未だ域半ばで滸がましいものの言い方をするが共に実践したいと願っている。


気の合つたそして気のおけない二、三の友と共に歩く山登りは真に何ものにも代へ難く愉しい。それこそどんな苦痛にも困難にも、また危難にも耐え抜くことが出来よう。そして共に得られた喜びもまた領ちあえるのである。そして結び合はされた友情は、その山と共に永く人の心に残るものであろう。
モーリスエルヅヴーク




朝日連峰 祝瓶山









祝瓶山直下にて

5月23日(土)
待ちに待った祝瓶山荘開きであったが、全ての作業が終わる寸前到着。会の方々に恐縮する。カーバーライトに灯が点けば酒宴が始まった。最中、来客あり。後、著名な写真家と知るが大いに盛り上がる。昔ながらの山岳会に浸り酒飲めば、何時しかカメ虫と添い寝となった。

5月24日(日)
天気は下り坂を承知で、同じ山域に流れようとする会仲間と祝瓶山へロープを張るべく登る。道すがらにはカタクリの花は咲き誇り今年は山雪であったことを教える。案の定、1200m辺りから硬雪は登路を塞ぐも三つの点は一つの線となり山頂に辿り着いた。八方山の祝瓶山は霧に煙り風強く、ブナ林へと気が急く。目を凝らし下れば、頃合いの山菜をザックに収めることが出来た。山荘にてのんびりとコーヒーを啜れど祝瓶山を仰ぎ見る事は出来ず家路についた。


朝日連峰 葉山民衆登山









奥の院で寛ぐ人たち

5月6日(水)
葉山民衆登山に備え登山道整備で、および葉山を歩く。中一日で老骨には堪えた。初物のタラノメ、コシアブラを土産として帰路に着く。

5月10日(日)
直江兼続の勝どきの声に送り出され総勢60名が葉山を目指す。途中より雪に乗り山荘へ着く。神事を済ませ、おもいおもいに昼食をとった後、希望者で奥の院へ出向いた。広がるパノラマに歓声が上がり主管側として喜ばしい。残雪に別れを告げ下れば緑色に染まった。

朝日連峰 中沢峰









焼野平の朝日軍道


5月2日(土)
「石に枕したい」と遅立ちではあるが春の広がる白兎参道を行く。立ち休みを繰り返せば道は捗らない。尾根にて薪を拾い汲んだ清水を背負えば葉山山荘へ着た。炉傍で缶詰をつっつき酒を飲むころ、すっかり夜になっていた。


5月3日(日)
熾きの煙が鼻を刺し目がさめた。アルファ米を腹に詰め山荘を出る。数年ぶりの山荘以西の朝日軍道に分け入れば単独者のトレイルを追う。大朝日岳を抜けるのであろう。羨む。焼野平の巻道は雪も着けず真の朝日軍道を見る事ができる。まだたっぷりと雪ある斜面を3、4ッ越して行けば中沢峰の頂に出た。仮称ダマシミカゲへ高度を下げるもオオドミの鞍部よりはただただたどる以外ピークを踏むすべはない。往路を戻り、もう一つの目的である仮称ホコダテノカッチへと向かう。中沢峰から祝瓶山荘への下りより大朝日岳が小さくなるにつれ祝瓶山がかぶさってくる。時期早なら、この登山道を下り切れば朝日に3本とないオオヤマザクラが咲き誇っているはずである。思い巡らせば一人ほくそ笑む。中沢峰からテン場を探して下るも葉山山荘へ着いてしまった。その夜も例の話で、酒で終わった。

5月4日(月)
鶯の囀りで眼をさますも持病の痛みでシュラフより這い出せず治まりを待つ。今日は葉山に来る人もなく山荘内はラーメンをすする音だけである。一足ごとに雪は少なくなり、やがて人里に出た。

朝日連峰 三体山











4月19日(日)
「黒部渓谷探検」で著名な岩永信雄が三体連山を辿り、祝瓶山スキー登山を行ったのは昭和2年であった。我々も、当時より動かぬ山波を見はるかし晴朗な春の雪稜に足跡を残し「近くて遠い」三体山に苦労を共にし辿り着く。銘々に腰を下ろし、朝日と飯豊が対峙する狭間で、冷え切ったビールを喉に流し込めば至上の悦に入った。帰路、見た有り様は雪からヤブへの折、sが差し出す手に確りと摑まる猛者の本物を感じ、鉄のつながりを見た。三体山登山は人と山の心に触れる登山であった。

尾根にて

鍋越山から中津川岳谷へ延びる山の鼻は「おおざさかい」と呼称され飯豊の精通者に問えば白川と右に流れる「大沢おおざ」の境に当たり、この「大沢」になみなみならぬ愛着を持つ故で合点がいく。昔からの熊撃ち、キノコ通道につきやたらと切り付けが目に立ち、ブナに鼻をつければ先人達の匂いがする。




















































鍋越山









栂峰、飯森山

飯豊連峰 鍋越山











4月12日(日)
昔から往き来ある山の鼻と知りつつ、辿ることのなかった尾根を使いあわよくば地蔵岳へと目論んだが、お日様を断つことを怠り、這う這うの体で旧飯豊登山道の一角である鍋越山に上がった。朝日連峰は遠くにかすみわたって在った。今西錦司が巨像か長鯨と形容した飯豊連峰の大きな景観を愉しみ、また、1000m前後から山頂までのブナ林は素晴らしく、それに満足し山を下りた。

朝日連峰 長井葉山








左手に白兎尾根を望む

4月4日(土)
25000/1地形図の長井と荒砥を合わせてみれば、いとも簡単に答えが出、修行の足りない者は境界尾根を辿り長井葉山稜線へ上がる事ができた。600m辺りまでは柴を行くもカンジキに変わればメートルが上がった。天気も変わり模様でストーブにマキも入れずそそくさと山荘を後にした。

朝日連峰 葉山










3月29日(日)
白兎尾根と並び大沢を挟んで、葉山連山へ一直線に延びているヤブ尾根が無名峰としてある。気になる尾根に分け入れば、ルート取りに失敗、詰まるところ柴に嫌気が差し白兎尾根に戻された。新雪にトレイルが山荘まで続き、どんじりの亀はツボ足で楽して山荘に辿り着いた。山荘前には、sとaが下山に取り掛かっていた。途中、交差した山仲間h越君に感謝する。山荘脇では某高校の山岳部が雪上訓練をしており賑わしい。マキストーブで暖を取れば熾の香いが快く、酒でもあれば此処に住みついてしまいそうであった。

芦峅樏

横着をし、今までほったらかしにして置いた輪樏のバンドの修繕をした。摺れた部分を強度ある糸で巻きつける簡単な作業である。十万都市である米沢ながら、カンジキ用のバンドすら売っていないのは嘆かわしいが、このような環境であればこそ創意工夫し山へ向かう心を養うのであろうか。十数年間使用した「芦峅カンジキ」はツメを何度か入れ替えたものの本体は何時折れても不思議でない状態で、ザックに補修用具を忍ばせる山行を繰り返している。



尾根にて









栂峰「大荒沢山」から延びる岩羽国境尾根

尾根にて









遠い朝日









深い飯豊









霧氷を覆うブナ









霧氷の花









本沢源頭









北尾根から

尾根にて









ブナの雪尾根











先人達が辿つた証











米沢側へ延びる枝尾根










直下のブナ










烏帽子山頂

飯豊連峰 栂峰










3月21日(土)
前回、余儀なく中退した栂峰へ行く。頂には拘らず過程に面白味を感じる故である。時間の食う尾根末端からの取り付きは割愛し、740mに合わさる尾根に取り付き時間短縮を計る。1000mラインに満たない尾根は雪屁が痩せはじめ所々藪を出し古い鉈目を見る。烏帽子山直下、東より派生する尾根は米沢側へダイレクトに延び登路、下路に使えそうで着目する。まっさらな烏帽子山より雪面はアイスバーン化しアイゼンが欲しくなる。栂峰の登りに取り掛かれば広く見る冬木立は霧氷を付け、またピッケルの石突きも容易に受け付けない雪面に今朝まで激しい風雪であった事が窺い知れる。谷側は信用のおけない雪屁で、自ずと山側を行く。急斜面、緩斜面を繋ぎ1485mへ登り切ると、たおやかな尾根が栂峰へ続いていた。どこが頂か解らぬ平頂の栂峰には先客3名が居り暫し雑談。弁当を広げている間先客は滑り下りて行った。朝日嶽、飯豊山に別れを惜しみつつシュプールを追うが何故かあじきない下山となった。

酒蔵利き酒コンサート




















昨日の夕方、米坂線とフラワー長井線を乗り継ぎ長井市のアマチュアフォークグループ「影法師」の酒蔵利き酒コンサートに出かけた。「影法師」の歌に酔い、大吟醸酒に酔い、かいもちに舌を鳴らす。山仲間の輪も深まる。小さなローカル線の旅と、心打たれたコンサートに感謝。

尾根にて

先日、栂峰を歩いたおり烏帽子山さきの稜線上で、ホキたトラロープが立木にぶら下ってあった。通行のない尾根と思っていたが、人が歩かぬ尾根など無いようだ。



飯豊連峰 烏帽子山










3月8日(日)
ピーカンが約束された日、栂峰を目指すも雪上に複数のシュプールの条痕あり樏組は通常ルートを外す。小屋川本流と支流の狭間に派生する藪尾根にルートを求め尾根末端から取り付くも雪質悪く極端なヤセ尾根ゆえカモシカも尾根筋を避け左斜面を通行していた。昔、登路とした尾根と合さる670m付近より堅雪とあまたなブナにひとりにんまりしトレイルを延ばせばブナを抜いた烏帽子山頂であった。遮るものもなく四周全ての展望が得られるも朝日は雲の中にあり飯豊山はもっそりと物静かに雪を被り横たわっていた。指呼の間の栂峰へは、ここより2時間を要すと記憶しているが時間も然る事ながら現状の山わっしゃこには容易ではないと思われた。右肩をおおらかに西に伸ばし、左肩は急角度に小荒沢側にすべらして威圧的な山容を併せ持つ栂峰に暫し我を忘れる。遠かった栂峰に別れを告げ踵を返す。

飯豊連峰 山毛欅潰山












2月26日(木)
ブナが潰れる程、雪が降ると謂れのある山も今年は貧雪であったが、それでも里と比べ物にならずふんだんである。上天気は愉しいもののザラメ雪に泣かされ、ひたすらカンジキを運ぶモノトーンの登行が山頂まで続く。そこに広がるブナ林が、数ヶ月ぶりに山に浸った悦びを感じさせてくれた。

ゆきいろの山房










今年、立ち上げようとしている改修前の「かわじ山房」はゆきいろでした。

半農半武










半農半武の末裔である母は愛郷心強く生家の在る南原の里にて畑を耕すを糧としていたが療養のため畑を遠退く事となった。上杉家が会津から米沢に移封された慶長の時から四百年以上守られてきた家屋敷を忽す事は出来ず、家業である撚糸業の片手間ではあるが野良仕事にも精出す事となる。屋敷裏にはコナラ、クリ等の雑木林が広がり原木キノコ栽培を手懸けようと目論んでおり、また、畑の傍らに建つ古い納屋を改築後、朝日・飯豊連峰は無論、吾妻連峰の登山ベースとして活用したいと画している。この様な境遇の上からも山は遠き所となるが、山わっしゃこは半農半武に為るべき年を迎えた。

どぶろく

山妻が快方に向かって心安しおりどぶろくの便りが届いた。久方ぶりの飯豊山麓は白い世界である。この厳しい風土が質材な酒を生すのであろう。里から見え隠れし飯豊山を仰ぎ見れば郷愁の世界に陥る。

糟糠の妻

あっという間に山は白くなった。慣わしのたかじょお納めは当然の如く諦め山なぞは当分思ひもよらぬ身であるが、糟糠の妻が日一日と元気を取り戻す勇気を目の当たりにし、武骨な重登山靴の手入れをしはじめたこの頃である。

青雲恋ひて

山行くは楽しからずや高山の青雲恋ひて今日も山ゆく 結城哀草果











米沢市内から大朝日岳を望む

飯豊連峰 朳差岳










10月19日(日)
栂峰でNさんと約束の朳差岳へ行く。連絡を取るとNさんからは二っ返事でOKをもらう。Nさんの山仲間K氏にも同行を頂いた。1時間余りの林道歩きで切付けが華やかな三吉平(月夜平)のブナ林に入る。三吉ノ峰の背に乗り尾根途中から右に搦みカモス橋を渡れば行き成りの急登で息衝く。最後の水補給場カモス沢の降り口を見過ごした山わっしゃこの水筒は空で同行者の水を当てにする情けない話であるが要所、要所で不便なく休みを取る事が出来た。独標のある権内ノ峰を通過、千本峰から前朳差岳への緩登に忍耐が続く。平頂の前朳差岳から主稜線を闊歩すれば朳差岳は指呼の間である。長者平にては草紅葉の絨毯を縫い散点する小池めぐりを愉しみ山頂へと向かった。四周全ての展望が得られる山頂は冷たい風が吹きつけ非難小屋にて昼食とした。途中すれ違った方の御好意の水を水筒に入れ重い腰を上げかけ、足の松尾根を登って来た登山者の方が到着し少々の雑談をするも突飛な服装なのか小屋番と間違えられた。山頂にて見渡せる限りの山々と狙いをつけたヤブ山を目に焼きつけ往路を戻った。

マイタケ採り










10月14日(火)
年に1度のマイタケ採りに行くも空振りに終わる。坪としている沢筋、尾根筋の約50本以上のミズナラを見回るも皆無であった。期待のもてる下流沢筋は三面マタギ末裔の出場であるゆえ足止の地である。仍って大量のブナシメジ、ブナハリタケを土産とした。今年も峠路で聞こえるはずない三面マタギの息づかいを感じる。




祝瓶山市民登山










10月11,12日(土、日)
長井山岳会主催の祝瓶山市民登山がありました。日本300名山とのことで大勢の登山者で賑わっていました。


ダムに沈む道




消えぎえの朝日軍道に想いを馳せるも雑多な所用で山を怠け続けている昨今であるが、祝瓶山に到る通り道の一部も数日後には消え果ると聞きつければ、何が何でも行かねばなるまいと家族を伴って千古に辿ることない道に別れを告げてきた。

朝日軍道の荒廃Ⅱ












9月15日(月)
集中力が欠け怪我を嫌ってエンジンを止める。一本を立てた後、長井山岳会の先達者達が葉山からの冬季縦走の折、ラッセルの苦しさから名を由来したダマシ御影(1423m)まで向かう。最低鞍部まで然程藪は気にならず1181m尾根から分ける野川オオドミ、ヌルマタオオドミの水場は密藪の先に消えていた。ダマシ御影の登り返し手前から疎林が故に日当たりもよく一層草木を生い茂らせて、この先の難行が予想できた。朝日軍道復元の登山道が完成したのは昭和32年で、同じして祝瓶山から平岩山間をも長井山岳会が開設し循環コースを切った。翌々年には長井葉山から大朝日岳間で県総体が開催されるなど、循環コースは往年を知る岳人達に一時期、誉めそやされたが今は人の往来も少なく目の当たりの様である。秋ばみはじめた物寂しい史跡の道に別れを告げ、決意を新たに山を下りた。

朝日軍道の荒廃

朝日俣沢と野川上流の分水嶺がある櫛形尾根の突端に位置する御影森山から長井葉山と大朝日岳の略中間に当たる中沢峰間が荒廃寸前との情報を得る。御影森山から前御影森山の手前間、中沢峰から最低鞍部までと部分的ではあるが歩いたのは7月上旬で、藪はそこそこであったが支障なく歩くことができた。その後は道刈りもされず史跡の道は藪で覆われ憂き目を見たのであろう。このまま原生の佇まいに還るが良いか、先人の足跡を偲び辿り続けるが良いか個々の想いは様々であろうが、山わっしゃこは御影森山、中沢峰の山頂を避け各鞍部から延びる朝日軍道ルートに着目しており後者を取る。情報の仕入が目的であるが一応は草刈機を担ぎ山荘裏から続く登山道に乗る。ザックは2缶の混合ガソリンと多目の水で少々重めである。巡視路を兼ねる登山道は丁寧に刈り込まれ足運びは良いが展望はあまりヨロシクない。道端のキノコに秋の気配を感じつつ地べたに汗を落とし黙々と歩くのみである地図のコースタイムピタリで中沢峰に着いた。分岐点から御影森山方面に降り立てば目の当たりにネマガリタケと潅木が蔓延ってあった。元の道形に戻すには無勢では到底太刀打ち出来ずと理解するも草刈機を回す。ツル草が地竹と潅木に絡み合う手強い藪に標高50mを落とすのに3時間半を要した。 つづく






























山岳救助訓練

9月9、10日、長井市の山岳救助訓練に参加をしてきた。
所属する山岳救助隊A隊は初動体制の早期確立、的確な情報収集、困難なエリアでの救助活動を目的に創設されたもので、今回の訓練は地形の把握と遡行技術の取得とチームワークの形成を目的とした訓練であった。

初秋の祝瓶山市民登山

初秋の祝瓶山市民登山の参加者を募集します


主 催: 長井市教育委員会 長井市体育協会 長井山岳会

主 管: 長井山岳会

期 日: 平成20年10月11日(土)12日(日)


詳細は長井山岳会Official Blogを参照ください

飯豊連峰前衛 栂峰





















9月1日(月)
待ち望んでいた上天気の日、飯豊前衛の栂峰へ行く。今回、連れ立つ方は「葉山の自然を守る会」のNさんで、2度の山行でしかないが、山わっしゃこと同じ山行スタイルを好む山慣れした山女と見てとれた。我々の予定は大桧沢支流思案沢を降り飯森山へとの思惑である。2人共々、脚絆と地下足袋で足元を固め天照大神に手を合わせる。道すがら通常では流れを見ない沢筋は太い流れを出しており一抹の不安を覚える。1ヵ月ぶりの足どりは重くNさんのペースを乱し続けた。Nさんは、そこここに祀られた神々の名をメモしながらの登りである。1400m辺りから展望はおむもろに開き振り返ると飯豊山が峙つていた。蔵王権現で腰を下ろせば長雨後の大桧沢源頭のガレ場が頭を過ぎる。増水も早いが引きも早い沢であるも地盤の緩んだ浮石が第一に懸念され危難を察知すれば事前に避けるのが沢登り心得である。栂峰山頂は我々の貸切と思いきや、夫婦らしき2人連れが登って来た。果物等をいただき暫し雑談をすると、男の方は朝日・飯豊に非常に詳しく沢や藪にも興味が深いようで話が弾んだ。参考にと思案沢の落ち口に案内をする。途中、4人パーティーと交差するも何と賑やかな平日であろうと我を棚にあげ感心しきりである。落ち口にて2人組に別れを告げネマガリタケ藪を漕ぎ沢床に降り立つ。飯森山は次回の楽しみと諦めていたので熊の真新しい糞があった所で偵察を止め引き返す。後は、口と地下足袋が滑る下山であった。こぎれいになった後、「葉山の自然を守る会」が中止に追い込んだ大規模林道の成れの果てを見に行く。大規模林道は、山わっしゃこが傾倒し続ける山々の狭間を走り、岩羽国境尾根の一角を刳り貫くという実に醜いもので、福島県側に出れば昔の儘には戻らないトンネルと橋が空しくあるもののそれに負けじと飯豊の山は緑深く、そして高い連なりを見せ眼下の大規模林道を進めた愚か人を戒める如くそこに重々しく鎮座してあった。この林道の行き止まりをまのあたりにすれば、すべからく、この結末であろう。今さらながら自然と対峙する姿勢を学んだ一日であった。