「山ある記」





















山の先達、秀さんは、祝瓶山周辺のそう高くもない山々を跋渉し、少年のままの心で風景を捉え、文を語ったのがスケッチ画文集「山ある記」である。
この画文集に往年の秀さんを彷彿としてしのぶことができるのである。

朝日連峰 長井葉山

12月28日(月)
登り口から合羽を強いられる。高度を上げるごとに雨足は激しく、風も強くなる。どうしても山頂へ行きたい訳はあったが勧進代尾根で尻尾を巻く。今年最後の山は、かくの如くいかにも「山わっしゃこ」らしい締め括りである。

飯豊連峰 山毛欅潰山












12月25日(金)
どぶろくと山を求めて飯豊山麓へ行く。アポなしのどぶろくはスカであったが、しばらく歩かぬ鈍った樏足はピーカンに気をよくし、山毛欅潰山頂を踏ませてくれた。朽ち果てるブナが目立つ疎林の山頂を避け、飯豊山の展望台へ戻れば、前衛栂峰から走る岩羽国境尾根の寂峰と、不遇の西滝登山道を再度歩くことを目標に掲げた。

朝日連峰 祝瓶山














12月1日(火)
いつも少年のような心を持つ山岳会の大先輩である秀さんが逝った。山荘から仰ぎ見る祝瓶山は広がる青空に浮き出て天を突く。山の懐深く入れば、木々の葉は皆落ちつくし寒さにふるえていた。道々の古い鉈目を目にすれば、鎌を振る秀さんが偲ばれる。1000mからの尾根は次第に雪が覆い、クラストと化す所はダマシながらの通過となる。直下の岩場は急峻ゆえ雪を着けずとも狐色に枯れた草は雪以上に手強く、幾度もスリップさせられた。登り切れば秀さんのスケッチブックに描かれた祝瓶山頂であった。 合掌