高倉山

2025年3月31日

山ノ神に手を合わせまたまた沢筋を行く。ヒドン・クレパスを避

け上へ上へと追い上げられたが流れが消え確信が左岸へ移させ

る。きれぎれの眠り雪の間のイワカガミに春と知る。

先は登り一辺倒の尾根となりブナとミズナラと疎らなダケカン

バの中をスパイク長靴に金カンジキで喘ぐ。

不要と化したカンジキはザックに収め徹頭徹尾ツボ足であった。

概ね標高1000mを超えれば新雪に一面おおわれヨレヨレの足跡

を後ろに鮮明に残す。登りもおとなしくなれば山頂も間

近である。行きそびれた吊り尾根を経て小仙への道は年齢

と境遇の上から閉ざされた。其の二の目的も何百も立つブナにシ

ッポをまきそそくさと山を降りる。山ノ神にお礼の手を合わ

せ小野川温泉で一風呂浴びビールが待つ我が家へと急い

だ。


小仙(1515m)への吊り尾根


山頂付近のブナ林



 高倉山(中退)

2025年2月2日

大荒沢山こと栂峰は地元田沢からの夏道はなく昔の仕事道の名残

りがかすかにブナに刻まれている。

東面1330mを狙ったが深雪でカンジキを高倉山へ向かわせた。

登り口とした塩地平の4mの雪壁には難儀し越えればカモシカに

もカンジキを履かせたくなる程の新雪で意気消沈。

田沢の白い山群は雪の多さに遜色はない。

立ち休みを繰り返すばかりで距離は稼げずしばし銀マットを広げ

弁当使いをすれば馬力もつき前進するも頭上の近くて遠い山並み

を望めば情けなく770mで気力も失せた。

朝付けたトレースを戻り物思いに耽れば二昔前山頂のブナに刻ん

だ鉈目とまだ歩かぬ起伏激しい小仙へ続く尾根に未練を残し再訪

を誓った。








塩地平登り口の4m雪壁





 



770m引き返す
              

            


                       






                         

                                                                                          

 大師山

2025年1月25日

大荒沢山の向かいの山にそう高くはないがたっぷりと

雪を付けた大師山がそびえる。

前回同様沢筋をルートとし先行するカモシカの足跡に

安堵し跡を追う。尾根道と異なり起伏に富みマタギ衆

の冬山ツールである雪ベラに助けられ833mの平頂に

着く。休まず先客2組のスノーシュー跡を駆け下り灯

りの世話になる一歩手前に麓へ辿り着けば後期高齢者

に丸一年と迫った誕生日の日に山に遊ぶ自分にほくそ

笑む。


大師山

カモシカの足跡を追う


小ナダレ跡

雪虫

雪ベラ

平頂

戸倉山 

2025年1月19日

地元では「マムシ山」と渾名する戸倉山は急斜面が山頂

まで迫り上がり深雪はカンジキを潜らせ鈍い故ナダレの

通り道と知るもヒドにルートを取る。少ナダレ跡は雪は

締まりカンジキは捗る。然しながら標高低といえども

一人ぼっちの老頭児は這う這うの体で603mに到着せり。

一服もせず赤松の枝に赤布を括り付け踵を反す。

帰りしなふと思案すれば赤松と急斜面とマムシが多い

のに合点がいった。ふるさとのマッタホルーンは四季

折々山の副産物をお土産にできる山であるようだ。


戸倉山北面
ヒド
















山頂の赤松




 (2025年↑)

 (2024年↓)

三躰山


                                                                                                                                               2010/4/25 

ふるさとの山は、価値を信ずる者だけが登る山である・・・

一昔ぶりの奥三面


奥三面の渓谷に遊んだのは遠い昔で、地下足袋を運べば深いブナとミズナラの林にむせた。

父の日

嫁娘から、いつものウイスキーをいただく、孫娘からは、絵のプレゼント・・・


栂峰

小屋~栂峰~1485m~小栂峰~1441m~小栂峰~小屋(10時間)



5月11日
締の残雪の山は栂峰へ行く。麓は山菜採りで賑わい、天照大神に手を合わせれ
ば、静かな山となる。
ルート取りにミソをつけ、沢筋を登る羽目となり1102mの夏道に出た。
クロベの大木から雪の上の歩きで、朝日飯豊一辺倒の山わっしゃこの頬を
緩ませるに不足ない稜線漫歩は栂峰山頂まで続いた。
帰路は、大荒沢左岸尾根尖端1485mと岩羽国境尾根1441m鞍部の道草
をして、朝の賑わいがウソのような麓へと戻った。




栂峰山頂


1485mから大荒沢左岸尾根


1441m鞍部にて
















長井葉山 安部ヶ館山

4月20日
勧進代登山口~安部ヶ館山~葉山山荘~白兎登山口(11時間)


地元の岳人も歩かぬヤブ山に、黒部探検時代の記録者岩永信雄は着目し、
三体連山はスキー登山とし、祝瓶山登攀後、安部ヶ館山を経て葉山へ下っ
たのは、昭和二年四月であった。
朝日のヤブ山と黒部渓谷の巡り合わせは、足許へも寄りつけぬであろうが、
山わっしゃこも黒部を知る者故であろう。
安部ヶ館山頂から、先蹤者が辿った足跡に、重なる己の足跡を見た山旅で
あった。




無名峰 1485m

4月9日
大荒沢~無名峰1485m~大荒沢(10時間30分)

登り残した無名峰へ続く白い尾根に乗れば、雪量は落ち、足早の春に驚く。傍らの
イワウチワがそれを物語る。
硬雪は、終始カンジキを入要とせず、知らず知らずにメートルが上がる。東面限界の
太古のブナ林を抜ければ、水平道先のスノーリッジは、雪を落としはじめ、なかなか
厄介なルートを作り出し、少しばかりの努力と度胸が必要である。
信用のおけぬスノーエッジ、ヒドン・クレバスを通過し、最後の雪面はアイゼン無しの
ピッケル頼みの登高で、複数回目のまっ皿なピークを得た。
栂峰の山頂は一投足であるが、近くて遠い山とした。恐怖観念からへっぴり腰での
下降で、パートナーがいれば笑われそうだ。起点に戻れば、細やかではあるが、
久々に、山に興奮した自分がいた。

















1485mピーク北西側(2009年3月21日)

 

栂峰(中退)

3月24日
大荒沢~無名峰1485m直下1330m~大荒沢(10時間)

数年前、手に入れたLOWAの試し履きのつもりが、ブナと青空に誘われ、範疇を超え、
本気で栂峰を目指した。
正面に仰ぎ見る大荒沢山こと栂峰東面は、肩を急角度にすべらして、田沢方面千仞
の渓谷を落としている。この先、難所であろう登路手前1330mで行動は終わった。
再度の実践を目論見、往路を戻れば、すれすれにランプ不要で田沢の里に辿り着け
た。











あさひ






建国記念の日に生まれた孫娘あさひは8歳になった。
あさひは絵心をもつ少女となり、ギャラリーに足をはこべば一画に微笑む。

”あさひさん、ナデシコのように・・・”

記念ナイフ



「オニシマイリ」の記念として、山わっしゃことお揃いのスイスアミーナイフを開わっしゃこにプレゼントしました。 

 


祝瓶山


10月18日
静寂は祝瓶山をさらに近寄りがたき山にする。桑住平で重い腰を上げヌルミ尾
根に取り付けば、山岳会の末席をけがしていた頃お世話になった昔の山屋と共に喘ぐ。
大朝日岳に雪降る時、麦わら帽子をかぶり鎌を振る昔の山屋は幻である。
 無言の登行は味気ないが昔を偲ぶに格好である。岩壁帯から鏡岩右尾根を直
上し潅木藪をこざき山頂にでる。草刈り終了時は往路を戻るのを常とし、赤鼻
尾根方面に足を向ければ思いは切れた。
および、桑住平の流れで鎌を研ぐ昔の山屋に手を合わせ追悼登山とした。



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飯豊山「オニシマイリ」

9月21日
置賜地方では往古から十三歳から十五歳くらいまでに成人の儀式として「お西山」と
呼ばれた飯豊山に登る「オニシマイリ」習俗が大正時代まで続いていた。
その登拝路の起点となる大日杉は登山者でごった返し、そんな中、開わっしゃこは
25年前、親父もそうであったように足元をキャラバンシューズで固め、はじめての飯
豊の山へ入る。要所々を超える開わっしゃこの体力には驚愕する。裏腹に山わっしゃ
こは困憊に陥り、テン場を飯豊本山から切合小屋に下げざるを得なかった。

9月22日
ザックは、開わっしゃこが背負ってくれた。足早で飯豊本山にお参りすれば「オニシマ
イリ」の一つが達せられ、後は登山者となる。ガス湧く飯豊山の山頂に立つ開わっしゃ
こは、なにを思い、なにを感じているのか、成長した少年を見る。下山は「オニシマイリ」
を演出するかのように、法螺貝が飯豊の山々に響き渡る中を還った。