ゆきいろの山房










今年、立ち上げようとしている改修前の「かわじ山房」はゆきいろでした。

半農半武










半農半武の末裔である母は愛郷心強く生家の在る南原の里にて畑を耕すを糧としていたが療養のため畑を遠退く事となった。上杉家が会津から米沢に移封された慶長の時から四百年以上守られてきた家屋敷を忽す事は出来ず、家業である撚糸業の片手間ではあるが野良仕事にも精出す事となる。屋敷裏にはコナラ、クリ等の雑木林が広がり原木キノコ栽培を手懸けようと目論んでおり、また、畑の傍らに建つ古い納屋を改築後、朝日・飯豊連峰は無論、吾妻連峰の登山ベースとして活用したいと画している。この様な境遇の上からも山は遠き所となるが、山わっしゃこは半農半武に為るべき年を迎えた。

どぶろく

山妻が快方に向かって心安しおりどぶろくの便りが届いた。久方ぶりの飯豊山麓は白い世界である。この厳しい風土が質材な酒を生すのであろう。里から見え隠れし飯豊山を仰ぎ見れば郷愁の世界に陥る。

糟糠の妻

あっという間に山は白くなった。慣わしのたかじょお納めは当然の如く諦め山なぞは当分思ひもよらぬ身であるが、糟糠の妻が日一日と元気を取り戻す勇気を目の当たりにし、武骨な重登山靴の手入れをしはじめたこの頃である。

青雲恋ひて

山行くは楽しからずや高山の青雲恋ひて今日も山ゆく 結城哀草果











米沢市内から大朝日岳を望む

飯豊連峰 朳差岳










10月19日(日)
栂峰でNさんと約束の朳差岳へ行く。連絡を取るとNさんからは二っ返事でOKをもらう。Nさんの山仲間K氏にも同行を頂いた。1時間余りの林道歩きで切付けが華やかな三吉平(月夜平)のブナ林に入る。三吉ノ峰の背に乗り尾根途中から右に搦みカモス橋を渡れば行き成りの急登で息衝く。最後の水補給場カモス沢の降り口を見過ごした山わっしゃこの水筒は空で同行者の水を当てにする情けない話であるが要所、要所で不便なく休みを取る事が出来た。独標のある権内ノ峰を通過、千本峰から前朳差岳への緩登に忍耐が続く。平頂の前朳差岳から主稜線を闊歩すれば朳差岳は指呼の間である。長者平にては草紅葉の絨毯を縫い散点する小池めぐりを愉しみ山頂へと向かった。四周全ての展望が得られる山頂は冷たい風が吹きつけ非難小屋にて昼食とした。途中すれ違った方の御好意の水を水筒に入れ重い腰を上げかけ、足の松尾根を登って来た登山者の方が到着し少々の雑談をするも突飛な服装なのか小屋番と間違えられた。山頂にて見渡せる限りの山々と狙いをつけたヤブ山を目に焼きつけ往路を戻った。

マイタケ採り










10月14日(火)
年に1度のマイタケ採りに行くも空振りに終わる。坪としている沢筋、尾根筋の約50本以上のミズナラを見回るも皆無であった。期待のもてる下流沢筋は三面マタギ末裔の出場であるゆえ足止の地である。仍って大量のブナシメジ、ブナハリタケを土産とした。今年も峠路で聞こえるはずない三面マタギの息づかいを感じる。




祝瓶山市民登山










10月11,12日(土、日)
長井山岳会主催の祝瓶山市民登山がありました。日本300名山とのことで大勢の登山者で賑わっていました。


ダムに沈む道




消えぎえの朝日軍道に想いを馳せるも雑多な所用で山を怠け続けている昨今であるが、祝瓶山に到る通り道の一部も数日後には消え果ると聞きつければ、何が何でも行かねばなるまいと家族を伴って千古に辿ることない道に別れを告げてきた。

朝日軍道の荒廃Ⅱ












9月15日(月)
集中力が欠け怪我を嫌ってエンジンを止める。一本を立てた後、長井山岳会の先達者達が葉山からの冬季縦走の折、ラッセルの苦しさから名を由来したダマシ御影(1423m)まで向かう。最低鞍部まで然程藪は気にならず1181m尾根から分ける野川オオドミ、ヌルマタオオドミの水場は密藪の先に消えていた。ダマシ御影の登り返し手前から疎林が故に日当たりもよく一層草木を生い茂らせて、この先の難行が予想できた。朝日軍道復元の登山道が完成したのは昭和32年で、同じして祝瓶山から平岩山間をも長井山岳会が開設し循環コースを切った。翌々年には長井葉山から大朝日岳間で県総体が開催されるなど、循環コースは往年を知る岳人達に一時期、誉めそやされたが今は人の往来も少なく目の当たりの様である。秋ばみはじめた物寂しい史跡の道に別れを告げ、決意を新たに山を下りた。

朝日軍道の荒廃

朝日俣沢と野川上流の分水嶺がある櫛形尾根の突端に位置する御影森山から長井葉山と大朝日岳の略中間に当たる中沢峰間が荒廃寸前との情報を得る。御影森山から前御影森山の手前間、中沢峰から最低鞍部までと部分的ではあるが歩いたのは7月上旬で、藪はそこそこであったが支障なく歩くことができた。その後は道刈りもされず史跡の道は藪で覆われ憂き目を見たのであろう。このまま原生の佇まいに還るが良いか、先人の足跡を偲び辿り続けるが良いか個々の想いは様々であろうが、山わっしゃこは御影森山、中沢峰の山頂を避け各鞍部から延びる朝日軍道ルートに着目しており後者を取る。情報の仕入が目的であるが一応は草刈機を担ぎ山荘裏から続く登山道に乗る。ザックは2缶の混合ガソリンと多目の水で少々重めである。巡視路を兼ねる登山道は丁寧に刈り込まれ足運びは良いが展望はあまりヨロシクない。道端のキノコに秋の気配を感じつつ地べたに汗を落とし黙々と歩くのみである地図のコースタイムピタリで中沢峰に着いた。分岐点から御影森山方面に降り立てば目の当たりにネマガリタケと潅木が蔓延ってあった。元の道形に戻すには無勢では到底太刀打ち出来ずと理解するも草刈機を回す。ツル草が地竹と潅木に絡み合う手強い藪に標高50mを落とすのに3時間半を要した。 つづく






























山岳救助訓練

9月9、10日、長井市の山岳救助訓練に参加をしてきた。
所属する山岳救助隊A隊は初動体制の早期確立、的確な情報収集、困難なエリアでの救助活動を目的に創設されたもので、今回の訓練は地形の把握と遡行技術の取得とチームワークの形成を目的とした訓練であった。

初秋の祝瓶山市民登山

初秋の祝瓶山市民登山の参加者を募集します


主 催: 長井市教育委員会 長井市体育協会 長井山岳会

主 管: 長井山岳会

期 日: 平成20年10月11日(土)12日(日)


詳細は長井山岳会Official Blogを参照ください

飯豊連峰前衛 栂峰





















9月1日(月)
待ち望んでいた上天気の日、飯豊前衛の栂峰へ行く。今回、連れ立つ方は「葉山の自然を守る会」のNさんで、2度の山行でしかないが、山わっしゃこと同じ山行スタイルを好む山慣れした山女と見てとれた。我々の予定は大桧沢支流思案沢を降り飯森山へとの思惑である。2人共々、脚絆と地下足袋で足元を固め天照大神に手を合わせる。道すがら通常では流れを見ない沢筋は太い流れを出しており一抹の不安を覚える。1ヵ月ぶりの足どりは重くNさんのペースを乱し続けた。Nさんは、そこここに祀られた神々の名をメモしながらの登りである。1400m辺りから展望はおむもろに開き振り返ると飯豊山が峙つていた。蔵王権現で腰を下ろせば長雨後の大桧沢源頭のガレ場が頭を過ぎる。増水も早いが引きも早い沢であるも地盤の緩んだ浮石が第一に懸念され危難を察知すれば事前に避けるのが沢登り心得である。栂峰山頂は我々の貸切と思いきや、夫婦らしき2人連れが登って来た。果物等をいただき暫し雑談をすると、男の方は朝日・飯豊に非常に詳しく沢や藪にも興味が深いようで話が弾んだ。参考にと思案沢の落ち口に案内をする。途中、4人パーティーと交差するも何と賑やかな平日であろうと我を棚にあげ感心しきりである。落ち口にて2人組に別れを告げネマガリタケ藪を漕ぎ沢床に降り立つ。飯森山は次回の楽しみと諦めていたので熊の真新しい糞があった所で偵察を止め引き返す。後は、口と地下足袋が滑る下山であった。こぎれいになった後、「葉山の自然を守る会」が中止に追い込んだ大規模林道の成れの果てを見に行く。大規模林道は、山わっしゃこが傾倒し続ける山々の狭間を走り、岩羽国境尾根の一角を刳り貫くという実に醜いもので、福島県側に出れば昔の儘には戻らないトンネルと橋が空しくあるもののそれに負けじと飯豊の山は緑深く、そして高い連なりを見せ眼下の大規模林道を進めた愚か人を戒める如くそこに重々しく鎮座してあった。この林道の行き止まりをまのあたりにすれば、すべからく、この結末であろう。今さらながら自然と対峙する姿勢を学んだ一日であった。

目論みの沢



お盆から降り続く雨にうんざりしつつ、7月末に覗いた沢にふんだんに有った厄介物の雪渓が、この長雨で消え失せるのを期待しているこの頃である。この時期、目当てにしていた沢には行けずしまいで、年1、2度しか溯らない山わっしゃこは本当の「えせさわや」になってしまう。9月からの日和に望みを賭け密かに釣竿等をザックに仕舞い込み事を進めているのであるが・・。



朝日の沢に思いを馳せて

朝日連峰三面川岩井又沢中俣沢(昭和三十八年八月十五~二十日)

「岩の間から湧き水の如く出る沢」と由来を持つ岩井又沢。「イワイノマタは恐ろしい。孫子の代まであの沢だけは入れたくない」と三面のガイド小池善晴氏はいぅている。(岳人410号)このように悽愴な峡谷の沢を五日間を要して長井山岳会パーティーが完登した。















沢登り心得
谷の美しさは人を谷にひきつける。しかし美しいということだけでつきたとはいへない。これには今一つ重大な因子がある。刹那々々の緊張感である。この味を欠いては谷の魅力の説明が不十分になる。好むと好まざるとに拘らず、危険を冒しても乗り越へなければならぬ滝、釜、岩への挑戦。これが強いて求めたものでなく、自然が通さぬと拒む。その関門の一つ一つを心を緊きしめて突進してゆく挑戦感、その緊張がなければ谷は唯美しいとだけではどうしても説明出来ぬ。特に初めての悪谷に於てをやである。

沢歩き心得

沢歩き心得
登山とは、高きに登ることであるが、又深く地にもぐることでもある。それが谷あるきである。本当に山につき知ろうとするならば、登るという正統な実践と、下りて水に沿つてあるくことの二つの修業がある。そこで山は初めてその持てるすべてを我等に教えてくれる。





               飯豊連峰実川支流裏川メッケ穴沢 1986.8・14~19
                                              photo/植野稔

ビァパーテー

ここ2,3日は、たわごと話です。
山わっしゃこは、オカマと政治屋は嫌いだが、昨夕は某市議会議員のビァパーテーにでかけた。某君は、なかなかの根性を持ちあわせている。ある民衆登山で0,1t以上ある重量で山頂に到達したのである。若さゆえと言えばそれまでだが・・。山だけしか知らない可哀想な山わっしゃこは、山に登る某君を垣間見たのである。また、以前から腑に落ちずにいた「土地開発公社」の問題に手を付けた某君の顔も知った。多く語らず「山高きが故に尊からず。木あるを似て尊しとす」の言葉を贈る。









夏祭り

昨日、町内のお祭りがありました。子供達はお揃いのハッピ姿でお御輿を担ぎ汗だくです。マンションが建ったお蔭で大勢の子供達がいます。ようやくこの町内にも活気が戻りました。子供達は、ごほうびの冷たいジュースとやきとりを頬張っていました。













わっしゃこ↑↓妹のあさひ











愛宕山民衆登山

恒例の愛宕民衆登山に孫の開と参加した。神社が鎮座する愛宕山は、米沢市民が斜平山(なでらやま)と呼称し親しんでいる一角にあり、お山に登り参詣し、でんがくもちを食べると夏バテはしないとの伝承がある。夕方からは火まつり、御神輿渡の伝統行事が催される。













「わっしゃこ」