記念ナイフ



「オニシマイリ」の記念として、山わっしゃことお揃いのスイスアミーナイフを開わっしゃこにプレゼントしました。 

 


祝瓶山


10月18日
静寂は祝瓶山をさらに近寄りがたき山にする。桑住平で重い腰を上げヌルミ尾
根に取り付けば、山岳会の末席をけがしていた頃お世話になった昔の山屋と共に喘ぐ。
大朝日岳に雪降る時、麦わら帽子をかぶり鎌を振る昔の山屋は幻である。
 無言の登行は味気ないが昔を偲ぶに格好である。岩壁帯から鏡岩右尾根を直
上し潅木藪をこざき山頂にでる。草刈り終了時は往路を戻るのを常とし、赤鼻
尾根方面に足を向ければ思いは切れた。
および、桑住平の流れで鎌を研ぐ昔の山屋に手を合わせ追悼登山とした。



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飯豊山「オニシマイリ」

9月21日
置賜地方では往古から十三歳から十五歳くらいまでに成人の儀式として「お西山」と
呼ばれた飯豊山に登る「オニシマイリ」習俗が大正時代まで続いていた。
その登拝路の起点となる大日杉は登山者でごった返し、そんな中、開わっしゃこは
25年前、親父もそうであったように足元をキャラバンシューズで固め、はじめての飯
豊の山へ入る。要所々を超える開わっしゃこの体力には驚愕する。裏腹に山わっしゃ
こは困憊に陥り、テン場を飯豊本山から切合小屋に下げざるを得なかった。

9月22日
ザックは、開わっしゃこが背負ってくれた。足早で飯豊本山にお参りすれば「オニシマ
イリ」の一つが達せられ、後は登山者となる。ガス湧く飯豊山の山頂に立つ開わっしゃ
こは、なにを思い、なにを感じているのか、成長した少年を見る。下山は「オニシマイリ」
を演出するかのように、法螺貝が飯豊の山々に響き渡る中を還った。