飯豊連峰 飯豊山












8月28日(土)
二ヶ月余り、山を離れた鉛の体は遅遅と進まず、五段山にて今回の計画は止むを得なく絶した。柔和な地蔵さまがおわす、地蔵山までの岩羽国境尾根は七寸幅に伐られるも、登山者にも行き会わぬ不遇の道に映る。三国岳の水場は細いとの風聞あり、川入登山道側に入り、飯豊の名水と名高い峰秀水5リットルを歩荷するも、直下にて3リットルの水を地べたに飲ませるヘマを打つ。空いていた三国小屋も夕暮れ時、団体組で小屋はスシ詰め状態と化し、通りすがり、袖振り合った流暢な日本語を話すオーストラリアの青年との酒飲みは分断され、何時しかシュラフ代わりとしたツェルトに沈没する。

8月29日(日)
朝食を済ませた彼は大きなザックを背負って、再び会おうと約束の本山へと一足先に向かった。管理人の大関さんに言葉を掛け後を追う。老骨にムチ打てば、彼は飯豊山頂で待っててくれた。知る限りのアドバイスをし、硬い握手は別れであった。下山路に中津川コースを取れば、そこにも新潟の山屋2人との出会いがあり、共々、灯りを必要とする寸前に大日杉に下り立った。