2011/11/17

朝日連峰 祝瓶山


photo/horikosi



11月12日
喧騒の山から静寂の山へと変わる頃、地下足袋の山行は終わりを告げる。足袋仕舞
の山は、藪山を目論むも記憶ある直下のネマガリダケの藪は重荷で、奇特なパートナ
ーを求めれば、剛柔な登山を繰り返すH越さんに二つ返事を貰った。昨今の天気から、
山頂辺りは雪であろうとと予測し、是非なく地下足袋を捨て、スパイク長靴でクワズミ
平から通称カミナリ尾根に上る。ブナ林のヤブはおとなしく、カクナラ沢から来る尾根と
合わさる810mで腰を下させ朝食とした。先には灌木藪が武装し、小枝をへし折り、大
枝はひん曲げて行けば、稀に開く窓からは、視界も無く恨めしいが「藪は道なり」であ
る。「入り口の良い谷は深くなって悪くなる」は沢登りの格言で沢を尾根に例えればそ
の通りで、藪は密度を増しながら笹の壁とも笹の海とでも形容したいネマガリダケの
重囲に当面し最後の関門をこざけば、草木が狐色に枯れるヌルマタ沢源頭で藪抜け
をした。祝瓶山頂には、一足先に着いたH越さんが、雲のご機嫌を伺いながら360°の
パノラマを収めていた。人心地つき下山に取り掛かる頃、小国口から登って来た登山
者に、展望を譲り祝瓶山に踵を返す。ヌルミ尾根からカクナラ尾根と対峙すれば、登山
道の有難味を感じるも、裏腹に藪の興趣に浸っていた。クワズミ平付近では、徹頭徹
尾トップをやったH越さんに、ザックを打ん投げたくなるほどのキノコを採らせてもらい、
満足の祝瓶山であった。




2011/10/30

朝日連峰 大朝日岳


10月19日
朝日鉱泉から1時間強のアルバイトで大正十四年伐開のツル尾根末端に着く。朝日俣沢と黒俣沢を分け派生する尾根は1200m余の高度差で大朝日岳に迫るのである。有無を言わせぬ急登もかげり始めた頃、展望はおもむろに開け、望外の山並みは休息を促し、合目毎に腰を下す。下から仰ぎ見る登山者を、口惜しがらせる騙しの頭に乗れば大朝日岳は近い。疎らな登山者と前後し山頂に立てば接空線に競い立っている山々に我を忘れる。平岩山分岐で祝瓶山へ続く縦走路と分け大沢尾根に入り、砂礫とハイマツを下れば主稜線から離れる事を知る。起伏に富む尾根も一つ一つ済し崩して行けば御影森山に着いた。ランプの世話を避けたくそそくさと下山するも山中は西日のオレンジ色から闇色と変わり、足元は灯りを頼るころ起点に辿り着いた。





2011/09/06

開わっしゃこ



























“わっしゃこ”の名をくれた孫の開は10才となる。勉強とスポーツとゲームに明け暮れる毎日である。
開のおやじもそうであったように、六年生になったら飯豊山に行きましょう。

2011/08/25

チェストバッグ














あると便利であろう小物入れさえ排除しザックだけを背負うスタイルは長年、沢登りで
培ったものであるが、尾根専門屋の今、便利さを追求すれば今流行のチェストバッグ
を購入した。雨蓋全てを収納し、例を取れば地図を開くにもザックを落とし再度担ぐ
手間が省かれロートルには有難い。だが、地下足袋を履きチェストバッグとはチンドン
屋さんのようでこっぱずかしい。山で会っても笑わないでほしいものだ。


2011/08/06

飯豊連峰 門内小屋









門内小屋を望む


8月5日
丸森尾根に取り付けば早々に神経痛は出るは、丸森峰手前から脚はつるはで地神北峰に辿り着く。思案すれば欲にも歩くことができない朳差は諦めた。新潟の岳人から山の先輩、亀山さんが門内小屋に入っていると耳にする。地神山の登りにかかればイイデリンドウは見ごろで別れ行く朳差を背にすれば得も言われぬ大パノラマが広がっている。縦走路の起状は緩く稜線漫歩で小屋に着けば亀山さんの善意がノドをうるおす。数年ぶりの話は尽きぬが小1時間で小屋を後にした。昨日、口を開けたばかりの水場で水筒を満たし扇ノ地紙で弁当を広げ時間も忘れた。所々で腰を落とし山荘の屋根が見えればアブがまとわりつく天狗平に13時間後に降り立った。


2011/08/01

愛宕山民衆登山












今年59回を迎えた愛宕山民衆登山に開と参加、記念品の鉛筆を頂く。
帰りしな、興味深い「斜平山周辺ハイキングとトレッキングコース図」の
パンフレットを手にする。



なでら山の名前と歴史

 何百年も昔のこと、なでら山の麓、李山(すももやま)に親寺
の他に六つの子寺を持った名高いお寺があった。お寺のうしろ
にある山なので七寺山(ナナデラヤマ)と呼んだ。
 また、この山は春が近づくと雪崩(なだれ)がさかんに起きた
のでなだれ山とも呼んだ。時代がすすむにしたがって地図に載
せるために国の方で付けた名前が斜平山(なでらやま)である。
この山の地質は古く、泥岩(でいがん)が主である。今から1千
万年も前の海底でできた岩石が隆起(りゅうき)してできた山と
いわれる。岩石の中に有孔虫(フズリーナ)や貝殻、ウニの化石
などがみられる。
 このように古い地質の山であるばかりか、斜めに切った山の
形は他では見られない変わった姿といえる。
                     
                                          文責  石 栗 正 人



   

2011/07/10

『幻のイワナを求めて』再放送

ハイビジョンスペシャル「幻のイワナを求めて」
初回放送 2002年9月26日
再放送 2011年7月18日(月・祝)
放送波 NHK BSプレミアム
時間 12:0014:00

取材内容 海外 ロシア、カムチャツカ島
        国内 朝日連峰


2011/07/08

飯豊連峰 飯豊山












7月6日(水)
雨はどこへいったような晴天が約束され、ついと、山に向かう。鼻をこする懺悔坂で一集団を抜き、長之助清水が咽をとおれば汲めども尽きぬ魅力の飯豊に触れる。適当な登りをこなし、白川左側に延びる岩羽国境尾根上にもっそりとわだかまる牛ガ岩山と視線が相等しくなれば騙し地蔵の東肩で、ここよりひと登り我慢すれば地蔵岳で朝飯とした。行きも帰りも山頂は踏まず、花街道故に遠慮がちに刈られた道を辿れば目洗清水の先で先日、祝瓶山を共にした若者達との出会いあり、暫しの会話で先を急ぐ。御沢には下りず種蒔山北面の雪渓を横断し切合小屋に至れば登山者がごった返していた。砂礫地から草履塚への長い雪渓歩きは地下足袋には堪えた。双耳峰の片方、北峰から急降すれば御秘所の険で、御前坂下で長い登りに腹拵えで備える。小ぶりながらヒナウスユキソウに励まされ飯豊山に到達せり。晴渡る空に展望は利き、あくことなく山々を眺めた。切合小屋にて両足の爪に痛みを覚え下山路は五段山経由を諦めざる得なく長丁場、地下足袋を履く者の宿命であろう。それでも、大日杉小屋には、帳が落ちる寸前に辿り着いた。

2011/06/23

朝日連峰 祝瓶山















6月22日(水)
濃縁の木の葉がうねる中を行けばブヨをも寄せつけず快適この上ない。足元の地下足袋も軽やかで歌もでる。ヌルミ尾根に登降路を求めたゆえに、カクナラ沢周辺にて山菜と戯れ、ズタズタの雪渓に押し戻されれば、登山モードに入る。若者3人組パーティが先行すれば、それに釣られるように強い風が吹く山頂へと2時間を切った。強風も物ともせぬ最新のストーブでコーヒーを飲むパーティと塩の効いた握り飯を頬張る登頂者には展望はなかった。別個のルートで下山を開始、クワズミ平に降り立てばほぼ同時刻に交差し、朝方のひとかたきの山菜を回収し後を追うように来た道を戻る。

2011/06/13

朝日連峰 祝瓶山















6月12日(日)
岩場の雪はすっかり落ち、不要の物と承知で重いシモンのピッケルを背負う。前回の山行で不評の鋲付長靴で歩き出し、何時もの通り最後の沢で水筒を満たせば喘登の尾根に乗る。ブナ林を抜け、通称馬の背辺りより景観が広がるのであるが今日は狭く楽しみも無いゆえ、距離を済し崩すのみであり、岩場に鏡石を見れば急登一投足で山頂に出た。同じルートより1名、鈴振り尾根と赤鼻尾根より各1名の登山者と会う。ブヨの大群に弁当もそこそこに赤鼻尾根に尻尾を巻く。そこは、ヒメサユリのつぼみロードで気を良くし、最後の話は一通りの山菜を収め、桑住平から重くなったザックに閉口した。

2011/06/08

飯豊連峰 栂峰

善意に収まる











6月7日
完全に錆び付いた体に、履き下ろしの長靴は足が遊び過ぎて歩きにくいことこの上なくホキる。先行した2人パーテーは唯一の窓で昼食をとっていた。そこからの目に入る山群は棚引き、指呼の間の飯森山だけがスッキリとそこにあった。小1時間も休めば老頭児と言えども回復傾向にあり、山菜に高ぶる。1500m下のコシアブラに始まり1000m辺りのタケノコ、沢へ下ればウドが食べ頃ですと待っていた。麓でのワラビは大漁で、明日からは山菜三昧の日々となる。

2011/06/05

スパイク長靴
















雑多な用が済み、山へ向かう準備を整える。足元が肝心で、残雪を想定すれば⑤のマジカルスパイク#950なる林業用スパイク長靴を買い求めた。残雪を見極めれば、以後は地下足袋になるであろう。

2011/05/23

再会を果たす

1986年 柚本さんと山わっしゃこ   photo/植野稔
自然遊悠学を主宰する植野稔は、50年にもおよびイワナを飽くなく追い続けていた。
イワナへの情熱を捨てた山わっしゃこを気に留め、石川に居を構えた柚本さんとの
再会の場に招き入れてくれたのである。愚老3者の六腑に酒が浸れば、足を沢へ
と走らせる。この上もない酒をしこたま飲み、山の書籍の中に寝る。
翌朝、一足早く起き、我々にシシタケご飯を炊き、コーヒーを挽いてくれた。おまけ
昼弁当まで持たせてくれた心遣いに感謝の念を懐く。それと裏腹に、これから山
足を入れる故、早く腰を上げろと促す。昔と変わらぬ物言いに、柚本さんと山わっ
は安堵し帰路についたのである。こうして植野、柚本、山わっしゃこの沢へ
じ目は開かれたのである。



     植野稔の自然遊悠学 

2011/05/07

この道しかない春の雪ふる

昭和年代を登った山男達はもういない。その精神を受け継ぐしかる所もない。
もう少し渓谷の底をうごめくならば、この道しかない春の雪ふる』かな

2011/04/06

朝日連峰 長井葉山










大沢尾根より白兎尾根と勧進代尾根を望む



4月5日(火)
一般的な白兎尾根右側に派生する大沢尾根は、破線もなく敬遠のヤブ尾根である。唯一、雪積期のみに一部のハヤマニストが辿る程度で、静寂が漂う。核心部を越え小実渕山から連なる稜線上は、標高低と言えども、前日の激しかった風雪にクラスト化していた。山荘に備えられる日誌は、2月27日で止まり以下、空白であった。ラーメンを啜り、腰を上げたのは15時過ぎで勧進代尾根を降れば、1月に逝った亡き父に、還暦を過ぎても山に遊ぶ丈夫な体をくれた事に感謝し、今回の災害で亡くなられた多くの方と、父の追悼登山は終わった。合掌

2011/03/24

一絵















あるロビーの一絵は、我々に時代の回帰を諭すように飾られてあった。

2011/03/15

東日本大震災

この度の「東日本大震災」により被災された方々には謹んでお見舞い申し上げますとともに、
一日も早い復旧がなされますことを衷心よりお祈り申しあげます。

2011/02/27

飯豊連峰 栂峰(中退)



2月23日(水)
久しぶりに雪の風物の中に入るが、樏は遅遅と進まず、烏帽子山から延びるスノウラインは越えたものの栂峰山頂への意地は捨てざるを得なかった。


2011/01/09

故旧忘れ得べき

説明を追加





















昔、朝日飯豊の沢を共にやり、常にトップを譲らず、その溯る姿勢に深い肝銘を受けた
旧知の柚本さんから手紙が届いたのは大晦日であった。黒部川上の廊下溯行を最後
に散り散りとなったが、飯豊裏川と名の付く桃源郷で、柚本さんから頂いた「ラープ」は
「故旧忘れ得べき」と、二昔前の歳月を山わっしゃこに問いけ続けていたのである。
明けて5日「白山に登ろう」なるガイドブックを手にする。著者は昔より文才に長ける柚
本さんであった。ただたんに形式ばりのガイドブックでなく、紀行文風の語りかける文章
は机上にして白山を登らせるのである。また、この一冊から柚本さんの山の良さの味
わい方を高さから深さへと切りかえていくようになっていった経緯が察せられた。1988
年に発行された植野稔の著書「イワナに憑かれて」の件に「なみなみとウイスキーをつ
いでしまい、ベロベロになる。今日もまた、彼らはテントに寝ることを許されず、特注フラ
イの下で酔い潰れていた。」と。再びあの熱い日が来ることを夢見る新年である。