飯豊連峰 飯豊山





















10月23日(土)
石にさせられた姥も通ったであろう中津川参拝道はザンゲ坂で洗礼を受け、長之助清水に山の水の甘さを知る。ダマシと名の付く山はたいがい頂は踏まず肩辺りを搦むもので朝日のダマシ御影然りこのダマシ地蔵も其の通りである。あわただしく通り過ぎた登山者の行く先の尾根を追えば地下足袋を責付く。右手に本山を仰ぎ見て高度を上げれば主稜線と繋がり、僅か行けば登山者が疎らの切合小屋であった。関門の草履塚はこのコース最大の突起で恨めしいが、これより視界は広がり本山と対峙する大日岳が牛首山を従い櫛ガ峰を経て水晶尾根にスカイラインを延ばしている。白い花崗岩礫地の御前坂に今年見逃したイイデリンドウとヒナウスユキソウに思いを馳せれば、本山小屋に辿り着いた。四周総ての展望が利く稜線を闊歩すれば飯豊本山で、今年最後となろう山頂からの展望を楽しむ。降りは多くの登山者と行き交い、切合から主稜線を離れれば、ツルベ落ちに陽が落ちて暮れた。

飯豊連峰 大日岳




10月2日(土)
裏川メッケ穴沢を遡行し大日岳に登頂後、オンベ松尾根を経て湯ノ島小屋に降ったのは昭和59年であった。湯ノ島小屋はブナ林の中にひっそりと佇んであったのは変わりはないが、往時を回顧すれば、随分と様変わりし、登山道に上がるまで、しばし間誤付く。昔、足を濡らしたアシ沢は簡易パイプの橋を渡る。前川を挟む鏡山山稜が後方へと移れば月心清水で、旅立ち姿のお地蔵さんは当時のままであった。ブナは切れ一気に視界が広がるも、今しがたやらかしたとおもわれる熊の糞を見れば、景色を楽しむ気も失せる。一服平を越し櫛ガ峰を搦めば、牛首山までの西面は紅葉の真っ只中で、主峰飯豊本山を取り巻くたおやかな山並みも徐々に色付き始めていた。牛ガ首鞍部より高度差240m余りをノラリクラリと詰め上がれば、人の子一人いない大日岳山頂で、文字の無い木標に遠い過去を追う。もう歩くことはない薬師岳からのヤブ尾根が曇一点もなく望まれ、彼方にうねる稜線が果てなく続いていた。御西から来た登山者と入れ替わり、飯豊山で一番高い山を後にした。着飾った尾根を離れ、青い尾根の末端で灯りを点け登山道へ出る。湯ノ島小屋に泊まるかぐらつくが、酒のない夜は哀しいので歩き出す。ゲートに戻ったのは15時間後で「一日八里(ひしてはぢり)」の山旅は終わった。