飯豊連峰 大日杉周回コース













6月18日(金)
ザンゲ坂の花崗岩に、昔人の足跡を見れば、ブナの尾根に乗る。ハルゼミの忙しい鳴き声のなか長之助清水で喉を潤せば、山の悦に入る。息衝き、ブナ林を抜け出せば滝切合で、鍋越山へ通ずる道は笹藪に埋もれ、倒れた道標だけが往時を物語る。地蔵岳から御坪までの道辺には、シラネアオイは広く咲き誇り、つぼみをつけたヒメサユリは密やかにその時を待っていた。御沢を登るべくピッケルを背負って来るも、出発と足が遅く、飯豊山へ続く道を右に捨てた。種蒔山水場より直上すれば、先行者の石突き跡に安堵し、山際にへばりつく残雪と夏道を繋げば三国小屋で、後方に目を転ずれば、大日岳から飯豊本山への稜線は頭上高くなりゆき、再訪を約束させる。剣ヶ峰で高度を落とせば地蔵の水場で、僅かな距離の雪渓を左に登れば、ミズバショウに囲まれたお地蔵さんが腰を下ろせと促す。数本の煙草をくゆらし留まるも、山わっしゃこが欲する日差しが迫れば気が急き、熊用心に山刃を下げ、それに備える。遅い雪解の道は、所狭しとカタクリの花が咲き乱れ、牛ヶ岩山先まで足の運びに苦労した。五段山の登りで、案の定、熊臭さを感ずれば、葡萄沢側尾根に中津川鉄砲撃衆が言う熊道があれば頷ける。道標を左に下れば、一段低いコブ山までは200m余りの急降で、沢音が耳に届けば大日杉小屋が間近いことを伝える。通り板の無い吊り橋を渡るのも億劫で、白川の流れに足を濡らせば、山巡りの起点に戻った。

飯豊連峰 石転び沢から梶川尾根








十文字鞍部に休むパーティ



6月12日(土)
石転び沢を登る組では一番早い出発にもかかわらず、足は遅遅として進まず、次々と追い抜かれ十文字鞍部に着けば先行者の大半は下山と立って行った。本石転び沢上部で、偶然に出会った長井の奥山さんも、梶川尾根を下るとのことで一足先に小屋を後にした。弁当使いも終わり腰を上げる頃、一群の登山者が到着し始め、それを歓迎するかのように、飯豊の山々は晴れ渡りはじめていた。連峰最北の二千米峰北股岳は一投足と言うには長過ぎる距離であるが、突兀としたピークに立てば四周全山を見せる。、これより門内岳、扇ノ地神を経て梶川峰までは縦走路の起状は緩く、景観と花たちが、たびたび足を止めさせる。以後、落下する尾根は登りに増し、腰から足に鈍痛を走らせ、ほうほうのていで湯の沢に下り立てば、山巡りは終了した。

飯豊連峰 栂峰












6月7日(月)
今日は山菜が目的の山行であるが、天照大神に手を合わせるのは通例で、ともかく栂峰を目指す。ようやく雪解けが終わり日の差す道端には、可憐な花が咲き始めていた。高度が上がれば展望はおもむろに開け、飯豊山群がわだかまっていた。展望皆無に近いオオシラビソの森は、おおかた残雪に覆われていたが、切れ切れに消えた登山道に、けなげなミズバショウが自生していた。植生が一時ブナに変わる斜面を登りきると及び平頂は一面の残雪で、過去の記憶にない光景である。頃合いのコシアブラから始まり、沢に下れば、売るほどあるゼンマイは御法度物で山ウド掘りに専念する。思いがけないタケノコは家族が十分堪能する量で、裾野に下れば当分の間、お浸し、みそ汁にと食されるワラビを手中にする。まさに春爛漫の一日であった。