朝日連峰 三体連山


4月25日(日)何時にない不穏な春の三体連山であるが、春を待ちきれないクマは沢から沢に餌を求め尾根を横切る足跡が、やたら目に付いた。広い枝尾根から横着を決め込み、白布ノ頭山頂を嫌い途中から冷や汗もののトラバースを経て、概ね高度200mを落とす。緩登、緩降で複数回テントを張った鞍部の泊まり場を通過、今日の予定は柴倉山頂であったが、途中で重荷に悲鳴を上げた身体は幕営を促し、樹林の適地にテン場を切る。ザックの目方を減らすべく牛飲馬食に徹する。

4月26日(月)
夜半から雨がテントを打ち、風が吹き荒れるも朝には収まり、グングンと青空が広がる。アルファ米を腹に入れ、ひと山越せば柴倉山の登り口に着いた。大朝日岳側から望む柴倉山は端正な山容であるが、反対側から見れば、後に尾根を伸ばし、それとは言い難い。前面する祝瓶山は雪に埋もれ、処々に岩峰が露出して、凄まじい様相を呈している。金目川溯行の折、シバに助けられたが、残雪期に何時かはと念止みがたくあったが,雪崩などで取り付くのも困難なようで疑問が残る。今日は爺岳と婆岳の鞍部でテントを張る予定とし、先の雪稜を進む。山頂より下ればマユツバ話のドジョウが棲むと言う池は雪の下にあり、空同然のザックは快適で、1057mまで足を延ばしてくれた。まだ辿らぬこの先に思いを寄せつつ、頭の上に被さってくる祝瓶山に踵を返す。二つ三つの登りに喘ぎ、合地ノ峰に繋げば朝日と飯豊の間で真直ぐ伸びる稜線漫歩が待っていた。爺岳の下りをこなし、折れ枝をくべれば、今日の夜も、また、酒で終わった。

4月27日(火)
深酒がたたり主食を取る気にもなれず、有りっ丈の飲み物を喉に通す。荷をザックに押し込めば濡れ物で初日と変わらぬ重さであるが、満足がそれを感じさせない。雪の割れ目に咲き競うイワカガミと、みやげとした頃合いのフキノトウが、ようやく遅い春が来たことを物語っていた。

『坊がつる賛歌』


雪 涙 残 人
解  を 雪 み
の 流 恋 な
水 す  し 花
 に          に      
     山 山
春 男  に 酔
を       入  う
知       り  と
 る           き
               も

朝日連峰 安部ヶ館山







安部ヶ館山方面から望む葉山連山




4月4日(日)
上天気を約束する朝の雪は、樏を不要の物にさせ、ツボ足はメートルを上げる。途中、通行ルートに人為的に掘られた穴を見る。「立つ鳥 跡を濁さず」なる格言も知らず、偸安をむさぼる連中の仕業であろう。オケサ堀から来る登山道と合わされば、谷を隔てて安部ヶ館山へと続く尾根が心を浮かせる。鍋割山左肩より目に飛び込む景観は余りあるもので、一人歩きの身には贅沢すぎた。その昔、安部一族が朝廷軍から追われ、要害の地とした山頂に辿り着けば山の先達、秀さんと共に石に枕し、スケッチブックを灰にした事々が偲ばれる。葉山山荘に立ち寄り白兎に下り立てば、秀さんが愛してやまない葉山連山の追悼登山は終わった。















先日の山行で、樏の足を載せる麻縄はズタズタに裂かれ、張り替えを余儀なくされた。思い返せば長い付き合いで、当初は、同じ麻縄で結ぶのが流儀であった。濡れると締まって緩むことはないが、ただし結び端が雪ダンゴになるのが欠点で、こだわりを捨てバンドに替えた。慣らしに長井葉山でも・・・・