朝日連峰 三体山











4月19日(日)
「黒部渓谷探検」で著名な岩永信雄が三体連山を辿り、祝瓶山スキー登山を行ったのは昭和2年であった。我々も、当時より動かぬ山波を見はるかし晴朗な春の雪稜に足跡を残し「近くて遠い」三体山に苦労を共にし辿り着く。銘々に腰を下ろし、朝日と飯豊が対峙する狭間で、冷え切ったビールを喉に流し込めば至上の悦に入った。帰路、見た有り様は雪からヤブへの折、sが差し出す手に確りと摑まる猛者の本物を感じ、鉄のつながりを見た。三体山登山は人と山の心に触れる登山であった。

尾根にて

鍋越山から中津川岳谷へ延びる山の鼻は「おおざさかい」と呼称され飯豊の精通者に問えば白川と右に流れる「大沢おおざ」の境に当たり、この「大沢」になみなみならぬ愛着を持つ故で合点がいく。昔からの熊撃ち、キノコ通道につきやたらと切り付けが目に立ち、ブナに鼻をつければ先人達の匂いがする。




















































鍋越山









栂峰、飯森山

飯豊連峰 鍋越山











4月12日(日)
昔から往き来ある山の鼻と知りつつ、辿ることのなかった尾根を使いあわよくば地蔵岳へと目論んだが、お日様を断つことを怠り、這う這うの体で旧飯豊登山道の一角である鍋越山に上がった。朝日連峰は遠くにかすみわたって在った。今西錦司が巨像か長鯨と形容した飯豊連峰の大きな景観を愉しみ、また、1000m前後から山頂までのブナ林は素晴らしく、それに満足し山を下りた。

朝日連峰 長井葉山








左手に白兎尾根を望む

4月4日(土)
25000/1地形図の長井と荒砥を合わせてみれば、いとも簡単に答えが出、修行の足りない者は境界尾根を辿り長井葉山稜線へ上がる事ができた。600m辺りまでは柴を行くもカンジキに変わればメートルが上がった。天気も変わり模様でストーブにマキも入れずそそくさと山荘を後にした。