ゆきいろの山房










今年、立ち上げようとしている改修前の「かわじ山房」はゆきいろでした。

半農半武










半農半武の末裔である母は愛郷心強く生家の在る南原の里にて畑を耕すを糧としていたが療養のため畑を遠退く事となった。上杉家が会津から米沢に移封された慶長の時から四百年以上守られてきた家屋敷を忽す事は出来ず、家業である撚糸業の片手間ではあるが野良仕事にも精出す事となる。屋敷裏にはコナラ、クリ等の雑木林が広がり原木キノコ栽培を手懸けようと目論んでおり、また、畑の傍らに建つ古い納屋を改築後、朝日・飯豊連峰は無論、吾妻連峰の登山ベースとして活用したいと画している。この様な境遇の上からも山は遠き所となるが、山わっしゃこは半農半武に為るべき年を迎えた。