朝日軍道の荒廃Ⅱ












9月15日(月)
集中力が欠け怪我を嫌ってエンジンを止める。一本を立てた後、長井山岳会の先達者達が葉山からの冬季縦走の折、ラッセルの苦しさから名を由来したダマシ御影(1423m)まで向かう。最低鞍部まで然程藪は気にならず1181m尾根から分ける野川オオドミ、ヌルマタオオドミの水場は密藪の先に消えていた。ダマシ御影の登り返し手前から疎林が故に日当たりもよく一層草木を生い茂らせて、この先の難行が予想できた。朝日軍道復元の登山道が完成したのは昭和32年で、同じして祝瓶山から平岩山間をも長井山岳会が開設し循環コースを切った。翌々年には長井葉山から大朝日岳間で県総体が開催されるなど、循環コースは往年を知る岳人達に一時期、誉めそやされたが今は人の往来も少なく目の当たりの様である。秋ばみはじめた物寂しい史跡の道に別れを告げ、決意を新たに山を下りた。

朝日軍道の荒廃

朝日俣沢と野川上流の分水嶺がある櫛形尾根の突端に位置する御影森山から長井葉山と大朝日岳の略中間に当たる中沢峰間が荒廃寸前との情報を得る。御影森山から前御影森山の手前間、中沢峰から最低鞍部までと部分的ではあるが歩いたのは7月上旬で、藪はそこそこであったが支障なく歩くことができた。その後は道刈りもされず史跡の道は藪で覆われ憂き目を見たのであろう。このまま原生の佇まいに還るが良いか、先人の足跡を偲び辿り続けるが良いか個々の想いは様々であろうが、山わっしゃこは御影森山、中沢峰の山頂を避け各鞍部から延びる朝日軍道ルートに着目しており後者を取る。情報の仕入が目的であるが一応は草刈機を担ぎ山荘裏から続く登山道に乗る。ザックは2缶の混合ガソリンと多目の水で少々重めである。巡視路を兼ねる登山道は丁寧に刈り込まれ足運びは良いが展望はあまりヨロシクない。道端のキノコに秋の気配を感じつつ地べたに汗を落とし黙々と歩くのみである地図のコースタイムピタリで中沢峰に着いた。分岐点から御影森山方面に降り立てば目の当たりにネマガリタケと潅木が蔓延ってあった。元の道形に戻すには無勢では到底太刀打ち出来ずと理解するも草刈機を回す。ツル草が地竹と潅木に絡み合う手強い藪に標高50mを落とすのに3時間半を要した。 つづく






























山岳救助訓練

9月9、10日、長井市の山岳救助訓練に参加をしてきた。
所属する山岳救助隊A隊は初動体制の早期確立、的確な情報収集、困難なエリアでの救助活動を目的に創設されたもので、今回の訓練は地形の把握と遡行技術の取得とチームワークの形成を目的とした訓練であった。

初秋の祝瓶山市民登山

初秋の祝瓶山市民登山の参加者を募集します


主 催: 長井市教育委員会 長井市体育協会 長井山岳会

主 管: 長井山岳会

期 日: 平成20年10月11日(土)12日(日)


詳細は長井山岳会Official Blogを参照ください

飯豊連峰前衛 栂峰





















9月1日(月)
待ち望んでいた上天気の日、飯豊前衛の栂峰へ行く。今回、連れ立つ方は「葉山の自然を守る会」のNさんで、2度の山行でしかないが、山わっしゃこと同じ山行スタイルを好む山慣れした山女と見てとれた。我々の予定は大桧沢支流思案沢を降り飯森山へとの思惑である。2人共々、脚絆と地下足袋で足元を固め天照大神に手を合わせる。道すがら通常では流れを見ない沢筋は太い流れを出しており一抹の不安を覚える。1ヵ月ぶりの足どりは重くNさんのペースを乱し続けた。Nさんは、そこここに祀られた神々の名をメモしながらの登りである。1400m辺りから展望はおむもろに開き振り返ると飯豊山が峙つていた。蔵王権現で腰を下ろせば長雨後の大桧沢源頭のガレ場が頭を過ぎる。増水も早いが引きも早い沢であるも地盤の緩んだ浮石が第一に懸念され危難を察知すれば事前に避けるのが沢登り心得である。栂峰山頂は我々の貸切と思いきや、夫婦らしき2人連れが登って来た。果物等をいただき暫し雑談をすると、男の方は朝日・飯豊に非常に詳しく沢や藪にも興味が深いようで話が弾んだ。参考にと思案沢の落ち口に案内をする。途中、4人パーティーと交差するも何と賑やかな平日であろうと我を棚にあげ感心しきりである。落ち口にて2人組に別れを告げネマガリタケ藪を漕ぎ沢床に降り立つ。飯森山は次回の楽しみと諦めていたので熊の真新しい糞があった所で偵察を止め引き返す。後は、口と地下足袋が滑る下山であった。こぎれいになった後、「葉山の自然を守る会」が中止に追い込んだ大規模林道の成れの果てを見に行く。大規模林道は、山わっしゃこが傾倒し続ける山々の狭間を走り、岩羽国境尾根の一角を刳り貫くという実に醜いもので、福島県側に出れば昔の儘には戻らないトンネルと橋が空しくあるもののそれに負けじと飯豊の山は緑深く、そし高い連なりを見せ眼下の大規模林道を進めた愚か人を戒める如くそこに重々しく鎮座してあった。この林道の行き止まりをまのあたりにすれば、すべからく、この結末であろう。今さらながら自然と対峙する姿勢を学んだ一日であった。