目論みの沢



お盆から降り続く雨にうんざりしつつ、7月末に覗いた沢にふんだんに有った厄介物の雪渓が、この長雨で消え失せるのを期待しているこの頃である。この時期、目当てにしていた沢には行けずしまいで、年1、2度しか溯らない山わっしゃこは本当の「えせさわや」になってしまう。9月からの日和に望みを賭け密かに釣竿等をザックに仕舞い込み事を進めているのであるが・・



朝日の沢に思いを馳せて

朝日連峰三面川岩井又沢中俣沢(昭和三十八年八月十五~二十日)

「岩の間から湧き水の如く出る沢」と由来を持つ岩井又沢。「イワイノマタは恐ろしい。孫子の代まであの沢だけは入れたくない」と三面のガイド小池善晴氏はいぅている。(岳人410号)このように悽愴な峡谷の沢を五日間を要して長井山岳会パーティーが完登した。















沢登り心得
谷の美しさは人を谷にひきつける。しかし美しいということだけでつきたとはいへない。これには今一つ重大な因子がある。刹那々々の緊張感である。この味を欠いては谷の魅力の説明が不十分になる。好むと好まざるとに拘らず、危険を冒しても乗り越へなければならぬ滝、釜、岩への挑戦。これが強いて求めたものでなく、自然が通さぬと拒む。その関門の一つ一つを心を緊きしめて突進してゆく挑戦感、その緊張がなければ谷は唯美しいとだけではどうしても説明出来ぬ。特に初めての悪谷に於てをやである。

沢歩き心得

沢歩き心得
登山とは、高きに登ることであるが、又深く地にもぐることでもある。それが谷あるきである。本当に山につき知ろうとするならば、登るという正統な実践と、下りて水に沿つてあるくことの二つの修業がある。そこで山は初めてその持てるすべてを我等に教えてくれる。





               飯豊連峰実川支流裏川メッケ穴沢 1986.8・14~19
                                              photo/植野稔

ビァパーテー

ここ2,3日は、たわごと話です。
山わっしゃこは、オカマと政治屋は嫌いだが、昨夕は某市議会議員のビァパーテーにでかけた。某君は、なかなかの根性を持ちあわせている。ある民衆登山で0,1t以上ある重量で山頂に到達したのである。若さゆえと言えばそれまでだが・・。山だけしか知らない可哀想な山わっしゃこは、山に登る某君を垣間見たのである。また、以前から腑に落ちずにいた「土地開発公社」の問題に手を付けた某君の顔も知った。多く語らず「山高きが故に尊からず。木あるを似て尊しとす」の言葉を贈る。









夏祭り

昨日、町内のお祭りがありました。子供達はお揃いのハッピ姿でお御輿を担ぎ汗だくです。マンションが建ったお蔭で大勢の子供達がいます。ようやくこの町内にも活気が戻りました。子供達は、ごほうびの冷たいジュースとやきとりを頬張っていました。













わっしゃこ↑↓妹のあさひ











愛宕山民衆登山

恒例の愛宕民衆登山に孫の開と参加した。神社が鎮座する愛宕山は、米沢市民が斜平山(なでらやま)と呼称し親しんでいる一角にあり、お山に登り参詣し、でんがくもちを食べると夏バテはしないとの伝承がある。夕方からは火まつり、御神輿渡の伝統行事が催される。













「わっしゃこ」