朝日連峰 三体山登山、西山新道探訪


7月27日(日)
三体山麓に昭和40年全戸離村した旧桂屋集落があった。道すがら、分校跡地に佇めば哀愁を感じるのは何故だろう。周辺は以前と比べ、多く様変わりしたのは時の流れか。原生林の中に丁重に刈られた道が続き、地元平野地区の人々が三体山を尊ぶ心を見る。山頂にて平野中学校校歌を合唱すれば郷土を愛する精神に敬服した。三体山登山は、人と山の心に触れる登山である。


新しい登山口の道標
校歌を合唱する

朝日連峰 祝瓶山道刈り

7月25日(金)
前夜からの雨で、山荘までの林道に不安を感じる程の降り方である。高橋会長の「雨降りは捗が行く」との鶴の一声で、雨に飛び出す。カクナラ吊り橋下の野川本流は濁流である。地下足袋の3名は増水した沢を難なく行くが、長靴の1名は素足で渡渉する破目となり大変の様だ。やはり炎天下の作業より数段効率良く、鎌が切れるも修業中の1名は苦労している。朝7時から7時間の道刈りで、祝瓶山頂までのコースを完了する。直ちに、次の現場を目指し下山する。逆コースの桑住平から野川の分岐まで道刈りをして行くと、分岐から山荘、その間を2名が丁重な道刈りをしていてくれた。山荘に到着したのは夕方6時過ぎで、大急ぎで慰労会にとりかかり、ブタの冷しゃぶをツマミに夜は更けていった。

7月26日(土)
朝食のソーメンが茹で上がるまで山荘周辺の草刈に精を出す。一汗掻いた後の冷たいソーメンは格別で、力をつけた後は本格的となり、草刈機も増えたお蔭で午前を以って、全工程の作業は終了した。



岩場上の道刈り



祝瓶山(1417m





手紙を託されて

地元植物研究家石栗正人先生から↓の手紙を託され「朝日軍道」に同じ思いを馳せる者として希望に沿いたいと知人の写真家に問い合わせる事にした。




    

朝日連峰 大朝日岳










御影森山から望む中ツル尾根と大朝日岳










御影森山から前御影森山、ダマシミカゲ(左)、奥に中沢峰










クマにかじられた道標










朝日鉱泉「古川屋」の墓



7月13日(日)


先週、中沢峰から望んだ御影森山へ無性に行きたく、朝日鉱泉から周回コースを取り、20年ぶりに中ツル尾根を辿った。朝日、飯豊に共通する初っ端の急登で汗を絞られる。薄ら覚えの長命水の水場周辺は、山抜けが著しく自然力を感じる。久しく忘れかけた景色を目で追いながらの登りで、左手に望まれる御影森山コースのコブ山が気になり始める。去年、溯行した朝日俣沢上部は、雪渓の下にあり、ここを確認できれば一投足で大朝日岳の山頂だ。山頂には多くの登山者が居り、裏山通いをしている者にとっては華やかな場に映る。四周全ての展望とミカンの缶詰を愉しみ平岩山へ向かうも、直下で思いも寄らぬ川崎さんと行き会う。先週も三体山、中沢峰へと2日間山を共にし、疲れた身ながら今日も山を歩く川崎さんの執念に呆れ返るも、私もこういうスタイルになりたいと切に願っているのである。暫し話し込み別れる。平岩山頂では、のんびりと山を眺めながら弁当を広げる。ハイマツの中を行けば、大朝日岳を囲む沢が頭をよぎるのは、沢詰めの最後の話はハイマツの藪漕ぎで、随分泣かされた思い出からであろう。東へ延びるコブ山をいくつも越せば中沢峰から見えた御影森山の跨げた頭に着いた。休まず前御影森山へと向い山頂手前で、黒いモノが藪へと走り去った。山では危険を察知すれば避けるのが心得で、大急ぎで戻り返す。御影森山頂は、展望が優れているものの、日陰も無くそそくさと立ち去る。高度を下げ続けると、道標が道の真ん中に立ってある上倉山のピークに着いた。道標の裏側をのぞきこむと、熊の仕業と思われる齧られた跡を見る。ここからわずか降れば、登山道沿いに水場はあるが、水量は細い。なおも高度を落とし足袋足が縺れ始め沢音が谷底から聞こえれば、終点の登山道分岐は近い。吊り橋手前には、朝日連峰の名案内人と言われた古川政次爺、房吉爺のお墓が道端にあり手を合わす。過って、3軒在った鉱泉宿跡は、今は草薮に埋もれ往時を偲ぶ術は無い。ナチュラリストの家の前は何度も通ったものの、入浴した試しが無く、又もやチャンスを見逃し、途中、沢で水浴びをし、さっぱりしたところで、家路につく。

山刃の鞘

以前、後輩のYに依頼していた山刃の鞘が完成しました。1ヵ月前に出来上がっていましたが、今回の山行で写真に収めることができUPするに至りました。一本の木を刳り貫いたもので実にシンプルisベストです。朝日か飯豊で、鉢巻きを巻き、地下足袋を履き、↑の山刃を下げうろついている男をみかけたら声のひとつもかけてやってください・・


朝日連峰 中沢峰










御影森山へ延びる「朝日軍道」










花崗岩の標柱


7月6日(日)

昭和55年秋祝瓶山荘裏から中沢峰(1343m)を結ぶ登山道が完成した。中沢峰は山頂で、かつての朝日軍道と繫がり平岩山を経て大朝日 到るが遠く、枝尾根が故に岳人にはさほど知られず、不遇の山の感がる。我々は、真西に峙つ祝瓶山を捨て、中沢峰の登山道に乗る。1031mのピークまで息もつかせぬ急登で、風鉾の頭(1061m)よりは 緩登に助けられる。道端をやれば花崗岩の西根村、平野村の境界標柱が往時を偲ばせる。平坦な尾根は根気よく時間を稼げば、ダケカンバの植生が見られる三角点と導かれる。分岐点は東へ僅か降る。日を避け、地べたに腰を下ろせば、川崎さんは、苦労した朝日厳冬季縦走を思い起こし、あのときのことが走馬燈の如く駆け巡っている様がかけから察せられた。ゆったりと北へ延びる尾根を追えば1181mの鞍部は野川大留の水場である。疎林の中を次第に登れば騙し御影 (14 23m)前御影森山(1435m)と続き、奥に頭を擡げた御影森山があった。左奥に盟主大朝日岳が大きく聳え威儀堂々として立派である。秋あたり、東の葉山から派生する尾根を辿り、忠実に朝日軍道を及び歩くことを目論見、山荘へと降った。

朝日連峰 三体山道刈り










七尺幅の『絹の道 塩の道』










丁寧に道刈りをする



7月5日(土)

長井市平野地区環境開発整備促進協議会主催の「三体山登山、西山新道探訪」が、7月末に行われるとのことで道刈りに行く。地開協5名、長井山岳会2名のメンバーである。西山新道探索の先駆者である新潟の川崎さんの参加も得た。また、西山新道に憑かれ踏破に思いを馳せる地開協の奥山さんは、川崎さんの語りに聞き入っていた。山頂から西山新道への降りはひどい藪であったが鉈目を拾い7尺幅の道へ降り立つ。途中に在った僅かばかり水の溜まった池は、かっての牛や馬の水場であろか。山頂へ戻れば地開協の方が担ぎ上げてくれた冷たいビールがカラカラな喉をうるおす。下山後、反省会があるとのことであったが、明日も山へ行く我々は後ろ髪を引かれる思いで2人だけの反省会会場である祝瓶山荘へと向かった。



飯豊連峰 三国岳










昔の峠 川入切合










路傍のお地蔵さん










飯豊山


7月2日(水)

以前から傾倒し続けている岩羽国境尾根の、いにしえの道を辿り久しぶりに飯豊山の主稜線に立つ。新調した地下足袋も昔の峠、川入切合に差し掛かる頃には足に馴染みはじめ終始心地好い歩きが愉しめた。登り口の谷地平分レから地蔵山まではブ 林の中を行く。道すがら地塘あり、お地蔵さんとの出合があり、花 は咲き乱れて、沢水に喉をうるおす。三国岳山頂からの展望を愉しみ 往路を戻る